散歩道(ブログ)
10.152008
「察する」ことのもろ刃
先週の「聴き力を磨く」と題したセミナーでのこと。
「聴く」には、「それこそ自分の経験を振り返っても、いわゆる「無視」の状態から「聴く振り」の状態、「傾聴」の状態・・・等、様々なシーンで様々な状態(レベル)があります・・・」と説明させていただいた所で、参加者の方から、「私は「聴く」を超えて「察する」のレベルに行けるように注意しています」との発言がありました。その具体例も分かり易かったのですが、「面接の時に、ある女子社員に「問題はないか」って尋ねたら、「問題ありません」と言いながら泣き出しちゃったんですよ・・・」とのこと。これは確かに「問題ありません」という耳情報だけに頼らず、「問題あり」として感ずる(察する)ことが大切だと私も思います。
以前、人間のメッセージ発信に占める影響力は、「言語的なもの(言葉の内容):非言語的なもの(表情等)=7%:93%」(メラビアンの法則)という情報について触れたことがあったと思いますが、まさにその非言語的なメッセージもしっかり受け留めて「聴く」ということが、ここで指摘いただいた「察する」ということにつながるのだと思います。
そして、それよりも更に私が重要な観点をいただいたと思ったのは、その方の続けての発言内容でした。
「ある友人(女性?)の財布がぼろぼろになっているのに気が付き、似たような新しいものを送ったら喜ばれるだろうと「察して」、そうしたら外してしまいました・・・」(笑)というもの。そう。察するだけではまだそれは勝手な「思い込み」や「自己納得」でしかない可能性もあるということです。
「聴き力を磨く」のレジュメの中には、「聴いたことをバックトラック(おうむ返し)することやサマライズ(要約)することで相手に返して確認する」、「私はあなたのことを理解していますと、しっかり安心させることが大切」という部分もあるのですが、まさにここがセットでついてこないと、「察する」ことは逆に大外しにもなり兼ねないリスクが出てきます。
察したことが当たった時の喜びは大きく、時には思わずガッツポーズが出てしまうこともあるかも知れませんし、相手に「え~っ!」というサプライズを与えるということもあると思います。ただ、逆説的な言い方になるかも知れませんが、「察しているけど聴けていない」という状況はないか、「「はず」が、(相手にとっては)全くそうではなかった」ということはないか・・・。
「聴く」とは5感をフル活用して、まず相手をしっかり受け留めること。「察する」とは、そうした視点を改めて頭に置いて付き合っていくことが大切なのだろうと感じました。貴重な観点と気付きをいただいたIさん、ありがとうございました。